ANCHOR

TEAM BRIDGESTONE ANCHOR チームブリヂストン・アンカー
RACE RESULT
2008年2月27日

Tour of New Zealand (UCI2-2)
第1ステージ(48.4km)

ニュージーランド(ウェリントン)

真下 17位
レース前夜ミーティングがあり、アデレードでの事前合宿の様子からみてキャプテンを唐見選手、
ゴールスプリントではエースを和田見選手、萩原選手。
山岳(第2,3ステージ)ステージでは、エースを萩原選手、山島選手と監督から話がありました。
平坦基調のゴールでは、エースの発射台として豊岡選手が起用されました。
自分は合宿での状態が悪かったので、監督からは特定な指示はなく、自由なアシストという存在でした。

第1ステージは公園の外周路約3kmを周回する前半向かい風で、後半追い風のクリテリウム。

後半の逃げをのがしたものの徐々に身体が動き出し、
集団のなかでも前方で走ることが出来るようになりました。
ゴールまでラスト2周回の時に、無線で指示があり集団の前方にエース:和田見を先頭まで引き上げました。
ゴール手前1kmで自分の後ろを確認したら、ほかの国の選手が自分についていました。
ここまできたらペースの上がっている集団の中で進路変更やエースの居場所を探す方が逆に危険だと判断し、
自らゴール勝負に挑みました。そして、追走集団のゴールスプリントを6番手でゴールしました。


2008年2月28日

第2ステージ(99.7km)


真下 16位
1箇所の山岳ポイントがあるだけで、比較的フラットなコース設定。
スタート後すぐにアタックをして独走で20km逃げた後集団に吸収されました。ゴール40km手前にある2kmの峠(山岳ポイント)で、先を走っていたエース:萩原選手・山島選手が
TOPグループにのることが出来ず、私より更に遅れて頂上を通過しました。
その後、長い下と平坦で集団は大きくなり、ニュールンベルグ(ドイツ)チームと
日本ナショナルチーム(唐見選手、山島選手、萩原選手、自分)がメンイとなって
先頭交代をしながら集団を追走するが、逃げ集団との差は縮まることなく、
追走集団でのゴールスプリントになりました。
集団ゴールならば順位に関係なくタイム差無しですが、自分はどうしても集団でうもれて
ゴールはしたくなかったので、必死にもがき集団の先頭でゴールしました。


2008年2月29日

第3ステージ(125km)


真下 22位
緩いアップダウンを繰りかえし、1箇所のスプリントと3箇所の山岳ポイントが設定され、
今回のツアーレースで一番高低差のあるコース。ゴール地点が3度目の山岳ポイントに設定されている。

1箇所目の山岳ポイント後に1名の逃げが出来たが、集団は追わず静かに距離を重ねました。
50kmを過ぎた頃から徐々に集団のペースが上がるが、先頭はなおも逃げ続けました。
私は出来るだけ集団の前で走り、自分自身中切れしないように必死で集団につく走りしか出来ませんでした。
ペースがあがった平地で、一列棒状の時に萩原選手、唐見選手がたてつづけに落車をし、
落車をした事を無線で監督に連絡しましたが、特に指示は無くそのまま集団で走り続ける事に。
2箇所目の山岳ポイント手前で萩原選手が復活して上がってきたので、
集団の後ろに下がり自分が彼女の風除けになりながら集団の頭にあげました。
その後、山岳ポイントに近づいてきたので、山島選手に無線で問いかけましたが反応がありません。
集団を見渡しても、集団の後ろまで下がっても見当たりませんでした。
萩原選手はこの時点ですでに呼吸も荒く辛そうでした。
自分も脚が攣り、水が負担になりお腹が痛かったのですが、
あきらめる事は出来ないと思い、もてる力をだし頂上を通過しました
。長い下りでSAVAS グリコーゲンリキッドでエネルギーリチャージして、最後の登りに備えました



2008年3月1日

第4ステージ(126km)


真下 70位
スタートして1kmで丘(山岳ポイント)を登り、スリッピーな下りを経て、海岸沿いの道を走る10.5kmを12周回する、ほぼ平坦コース。
隔周回に3度のスプリントポイントと3度の山岳ポイントが設定されている。

1周目、スリッピーな下り坂で前の中国ナショナルの選手とはすり一人ゴケをするがすぐ集団に復帰しました。
スタート後の2周回は自分にとって恐ろしいほど辛いペースで、丘の上りで集団からきれそうなところを耐えて、
海岸沿いの平坦で前にあがっていくという走りをくりかえしました。
海岸沿いは風も強く、道いっぱいに集団が広がる事もあれば、一列棒状になることもありました。

スタート後すぐに逃げ出した一人をラスト2周回で集団が吸収し、振り出しに戻り、
ラスト1周では雨が降ってきました。路面はとても滑りやすく、最善の注意を払って走りましたが、
ゴール手前2kmで一人が転び、横たわった自転車が私の目の前に出てきて、
避け切れることなくそのまま突っ込みました。
前輪もサングラスもどこかへいってしまい、日本ナショナルのケンゴさんが前輪を持って駆け寄ってきてくれました。
左膝から流血しながらとりあえずゴールまでたどり着きましたが、救急車で手当てをしてもらった時に
ヘルメットが割れている事に気がつきました。耐えてる走りを繰り返し、ゴールスプリントに備え
いい位置をマークしていたので、勝負できなかった事に悔しさが残ったレースでした。

ゴール後病院へ行き、膝を3針縫い、鞭打ち状態で安静をとり、このステージでリタイアとなりました。



2008年3月2日

第5ステージ


真下(DNS)
個人としては、レース前の合宿で体調不良のままレースにのぞみました。
日々走りながら調子が少しずつ良くなってくる感じがあったものの、本来の力を発揮できず
リタイアすることになった事が悔しく思います。各レースにおいて、
走っている位置は悪くなかったと思いますが、そこから展開をするだけの力が
足らず、先頭集団にのりおくれてしまいました。

チームとしては、レース中の選手間でのコミュニケーション不足もあり、
その日の各選手の体調を確認する作業がたりていませんでした。
海外でのレース経験のある選手としても今回のレースで学んだ事を
次の機会に生かしたいと思いました。